② 新潮文庫版の印象
「ミス・ピギー!」 新潮文庫版のアンナ観

思い出のマーニー (新潮文庫) [文庫]
ジョーン・G. ロビンソン
新潮社
②-1
プレーンな文体
少年少女向けの翻訳ではなく、岩波文庫版と比べるとこちらの文章はすごく”プレーン”だと思います。
小説冒頭部分↓
プレストン夫人はきょうも心配そうな顔で、アンナの帽子をまっすぐに直した。「いい子でいるのよ。楽しくすごしてね――それからね――そう、素敵に日焼けして、ほがらかな顔で帰ってくるのよ」 夫人は片手をアンナの背中にまわして、さよならのキスをした――アンナに、自分は優しく大事にされていて、何の心配もいらないんだ、と思ってもらおうとして。
でも、アンナには、夫人のそういう意図がはっきり感じとれて、そんな必要はないのに、と思ってしまうのだった。それでかえって二人のあいだに垣根ができてしまい、ごく自然にさよならを言うことができなくなってしまう。
(中略)
アンナは、客車の乗降口に、身を固くして立っているしかなかった。
片手に鞄を持って、どうか自分がつまらなそうな顔をしていますように、はやく列車が動きだしますように、と願いながら。
岩波文庫版と比べると、だいぶ印象が違いますね。。。
特に、上記で引用した冒頭部分の(中略)以降、アンナが乗降口に立っているところの描写は、岩波版と比較するとかなり客観的で、淡々とした表現になっているのではないでしょうか(いい意味で)。
前回、岩波文庫版で引用した部分と比較しますと、
アンナとマーニーが初めて出会ったシーン、↓
だが、少女はさっとアンナの腕をつかんだ。「いや、いかないで! だめよ、そんな短気を起こしちゃ。あたし、あたし、あなたとお友だちになりたいんだもの! あなただってそうじゃない?」
美しいマーニーを見つつ、アンナが思った事↓
マーニーと比べたら、あたしは魔女も同然だもの。
「魔女」…。岩波文庫版では「おにばば」でしたけれども、角川文庫版でも「魔女」となってました。 どうも原文は「魔法使い」的な言葉で書かれているようですね。原書はまったく読んでいないのでわかりませんけど…。
誰も会った事がない筈のマーニーの、込み入った事まで妙に良く知っているアンナに対して、リンゼー兄弟の長男アンドルーが言ったセリフ。↓
「魔法使いのアンナ!」アンドルーが叫んだ。
「かどっこ屋敷」のサンドラに、アンナが放った一言↓
でぶっちょの豚むすめ!
これはアンナが、なにかとソリが合わない「かどっこ屋敷」に住むサンドラと、些細なことから言い争いになった時に言った一言。岩波版では『ふとっちょぶた』でしたが、こちらは『豚むすめ』。
「ぶたむすめ」。。。は、聞きようによってはプリチーな響きにも聞こえるし、

聞きようによっては、「ビッチ」(雌犬)級のあざけりの言葉にも聞こえないこともないような。。。

②-2
アンナの『つまらなそうな顔』
。。。この拒絶するようなニュアンスが、この新潮文庫版の考えるアンナの心情、アンナ観なのかも、と思いました。
最初に引用した冒頭部分の最後に、『つまらなそうな顔』、という語句が出てきます。
これは作中たびたび出てくる言葉。 アンナの世界に対する姿勢、もしくはアンナの内面をあらわすキーワードであります。
「ぶたむすめ」。。。は、聞きようによってはプリチーな響きにも聞こえるし、

聞きようによっては、「ビッチ」(雌犬)級のあざけりの言葉にも聞こえないこともないような。。。

②-2
アンナの『つまらなそうな顔』
。。。この拒絶するようなニュアンスが、この新潮文庫版の考えるアンナの心情、アンナ観なのかも、と思いました。
最初に引用した冒頭部分の最後に、『つまらなそうな顔』、という語句が出てきます。
これは作中たびたび出てくる言葉。 アンナの世界に対する姿勢、もしくはアンナの内面をあらわすキーワードであります。
プレストン夫人はアンナの”つまらなそうな”顔を見て――夫人自身はその顔を”不愛想な顔”と思っていたのだけれど――ついため息を洩らしてから、もっと現実的な事柄に注意を向けた。
とか。。。。
――自分は負けん気が強いし、怖がってなんかいないということを示したくて、この世のだれよりもつまらなそうな顔をした――
などなど。
私が思うに、小説版での主人公アンナは欧米流の個人主義なのか、「アタシのことはほっといてくださる?」的なドライなキャラだと思います。
生きづらさに怒りつつ、欝々(うつうつ)としながらも、一方で”我関せず”あっけらかんとした感じ。 (例えば、アンナが自分に友達がいない理由を語る部分は、『私に友達がいないのはあなたがたのせいでしょ?』とでも言うような内容。自分を責める事でごまかすような卑屈さはナシ。)
その為か、この『つまらなそうな顔』、原文では”ordinary face"(直訳すると「ふつうの顔」)と書かれているようです(Wikipediaより)。
しかし、新潮版の訳では『不愛想なつまらなそうな顔』。
このあたりは踏み込んだ解釈?でしょうか。 色々考えると面白いです。
不愛想なアンナ、という表現は、ジブリ映画版の杏奈のキャラクターに近いような気がしました。
殻に閉じこもりつつ、無表情にふるまっているように見えても、心の中は「あっけらかん」どころか、チョー不機嫌、不愛想。

これがいまどきの自意識の葛藤、ということなのか?と、思いました。
そう考えると、この新潮文庫版の文章全体に見られる、客観的で淡々、言い換えれば硬質で、ちょっと距離を置くような雰囲気は(いい意味で!)、ひょっとしたら、それはアンナの心情を表現しているのではないか。。。なんて思いました。
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