1915年12月9日、10日の2日間で羆によって(胎児を含め)7名の犠牲者を出した三毛別羆事件。


恐怖のどん底へと突き落とされた六線沢集落では——


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三毛別羆事件 5-2




明景家での惨事を受け、十二月十日夜には全ての女性、子供が3㎞下流の辻橋蔵家と6㎞下流の三毛別分教場に分かれて一斉に避難することになりました。
それは、「あたかも平家の都落ちを思わせる陰惨な光景であった」(「慟哭の谷」p42)そうです。。。







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北海道庁には十二月十二日に事件の一報が入り、折り返し道庁保安課が羽幌警察署に宛てて羆捕殺の指示を打電。それを受けて羽幌警察分署長が隊長となり近隣有志の農村民を加えての熊狩り隊が結成されました。







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十二月十二日、熊狩り隊は袈裟懸け羆をおびき寄せるため、犠牲者の遺体をも囮に使って明景家に一晩張り込んで決死の待ち伏せ作戦を敢行。

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↑ 講談社漫画文庫『野性伝説 羆風』下巻 p148 より



遺体の匂いにつられて袈裟懸けは明景家の前に姿を見せたのですが、銃の匂いを嗅ぎつけたのか家屋には足を踏み入れず退去。


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↑ 『野性伝説 羆風』下巻 p156 より


袈裟懸けはその足で熊狩り隊の居ない無人の太田家の方に押し入り、保存されていた雑穀類を食いあさり、衣類などを引きちぎり、果ては糞尿が家屋内に垂れ流してあったそうです。


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↑ 『野性伝説 羆風』下巻 p171 より




さらに翌日には空き家となった農家八軒に侵入し、保存食の鰊漬け、家畜の鶏などを食い尽くし、そして嘲笑うように糞尿を屋内に垂れ流す。
狼藉の限りを尽くし、「こうして九日以来僅か五日間に、開拓部落十五軒中、六線沢の右岸に立つ十軒すべてが侵害」(「慟哭の谷」p52)という事態に至りました、、、








 彼は怖れるところなく連日、空になった農家へ堂々と押し入り鰊づけの樽を破壊し、雑穀をまき散らした。
 川上から川下へ……彼は怒りの嵐となって吹き荒れた。


戸川幸夫著『羆風』より




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野性の領主はやがて怒りの嵐となり、それは大自然が下すであろう裁きの象徴でもあり、、、




その袈裟懸けは下流へと進み、ついには三毛別川の合流地点を超える可能性が出て来ました。


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↑ 上方向の北が日本海側の下流





恐れるものとてない熊は、手あたり次第農家を荒らし回り、ついに恐れていた三毛別川の合流点近くまでやってきた。万が一、三毛別の部落に熊が渡ってしまえば、被害が計り知れぬほどに広がるのは明らかであった。熊狩り本部はいやが上にも緊張し、隊員のだれも彼もが必死であった。


木村盛武著『慟哭の谷』p58 より




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↑ 『野性伝説 羆風』上巻 p180 より

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三毛別羆事件 5-12




ワタクシこの夏、北海道に旅行でも行ければ良かったのですがそれも叶わず。。。

それはともかく。



現在、事件のあった地は「三毛別ヒグマ事件復元地」として整備されていて、今も事件当時を偲ぶことが出来るそうです。


それを知ってワタクシもストリートビューで見てみました。苫前郡苫前町三渓という場所にある復元地近くは見たところ辺りに民家もない、うっそうとした森林地帯。
そこから5㎞ほど下流に射止橋という橋が架かっており、そこが氷橋が架けられていた場所だそうです。
そこは田んぼの広がる実にのどかな田園地帯。
モニター越しにも感じる静けさ。悲惨な事件があった場所とはとても思えない。。。

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この穏やかさは百年前と何も変わっていないのではないかと思いました。









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この「射止橋」、この地点の北には現在での苫前町や羽幌町といった地域があり、ここを越えられるとすべて袈裟懸け羆の行動範囲に入ってしまう。



そのためこの氷橋を重点的に熊狩り隊は警戒していたのですが、十三日の夜、そこに異変が、、、





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三毛別羆事件 5-15




⑤-2 につづく!