小説『羆嵐』の感想
三毛別羆事件の重要な要素のひとつとも思うのが、袈裟懸け羆を仕留めた山本兵吉さん。
『羆風』より後、昭和52年に出版された小説『羆嵐』は山本兵吉さんの存在が物語の中心になっており(劇中では「山岡銀四郎」の名で登場)、その面での掘り下げはより深い作品だと思います。
羆嵐 (新潮文庫) [文庫]
吉村 昭
新潮社
1977年刊
「銀オヤジを呼んだらどうだ」若い男が、つぶやくように言った。男たちは、若い男に眼を向けたが返事をする者はいなかった。区長をはじめかれらの顔には、不快そうな表情が露骨に浮び出ていた。
吉村昭著『羆嵐』より 以下同 太字はケン一
熊射ちの専門家である山岡銀四郎に助けを求めるべきだと提案する若者。しかし古くからの住民は拒否反応を示す。
『羆風』と違い、『羆嵐』は史実からある程度脚色されたストーリーになっているのですが『羆嵐』での銀四郎はとにかく酒癖が悪く、まわりとの調和を図れない”ならず者”的な人物として描かれています。
家族を失い、周囲からも疎まれ、そのためマタギとして孤独な生活を送るしかなく。。。 ただし、実際の山本兵吉さんは面倒見の良い人で、酒で身を持ち崩すタイプでは全くなかったようです。
その後も羆の被害はどんどん拡大。羆討伐の応援に来た他の集落の人達もあてには出来ない。
「おれたちが来たから安心しろや」「びくびくするない」酔いに顔をあからめた男たちは、笑いながら茶碗に酒をそそいでまわる。かれらの眼には、六線沢、三毛別の者たちの不幸に対する同情の色がうかんでいたが、臆した姿を蔑むような光もただよっていた。かれらは、救援者としての優越感をいだいているようにみえた。
救援隊の男たちの言動には、羆に対する恐れがほとんどうかがえない。かれらは、六線沢で九人が殺傷され、六線沢が放棄されたという事実を冷静に注視している様子がない。かれらは、銃と集団の力を信じているようだが、羆の力を軽視していることは危険であり、それが三毛別、六線沢の者たちにとっては不満であった。
恐怖を随えるモンスターとも言える羆を人々は誰も正しく見極め、正しく立ち向かう事は出来ず。
とは言えそれは無理もないというか、、、
私だって自分の人生さえちゃんと立ち向かえているのかどうか、、、などと私事を言うのもなんですが、身近な自分自身の問題さえマトモに見つめるのは勇気がいるというのに、現実に何人もの人間を殺害した猛獣に立ち向かうというのは。。。
袈裟懸けにはもう人間なんて軽蔑すべき屑に思えた。畏敬していた人間どもが背を見せて走るのだ。背を敵に見せることも屈辱だった。袈裟懸けの人間に対する軽蔑はますます大きなものになり、同時に心に余裕が生じた。もう恐怖は去っていた。どれから殺るか——そんな愉しみすらが湧いた。
戸川幸夫著 『羆風』より
小説『羆風』で袈裟懸けが軽蔑した人間の姿とはそういう事なのではと感じるのであります。
そんな無力感が高まってゆく展開の中、六線沢集落の区長の判断により鬼鹿村から山岡銀四郎がついに登場する。
区長は、その地方でただ一人のクマ撃ちである銀四郎の参加なしには羆を斃す(たおす)可能性はないと思った。
区長が、進み出た。銀四郎は立ちどまると、「災難だったな」と言い、徐ろに軍帽をぬいだ。その仕種には、死者に対する哀悼がにじみ出ていた。
そこからの、羆に怯える人達を尻目に「銀オヤジ」のひたすらに羆に迫ってゆくストイックさは、右往左往するしかなかった集落の人びと、そして前半で語られた「ならず者」としての銀四郎のネガティブなイメージとは好対照を為しています。
区長は、すべての家を調べるという銀四郎の言葉に恐怖を感じたが、銀四郎からはなれて逃げ出す気にはなれなかった。かれの内部には、かすかではあったが為体の知れぬ感覚がきざしはじめていた。かれは、寒気の中で傍を歩く銀四郎の体温を強く感じていた。それは生温く、かれの体をつつみこんでくる。幼児が母体に安らぎを感じるように、かれはその温い空気の中に身を置いていたかった。
「きさまらは、ずるい。ぺこぺこ頭をさげたりおべっかをつかったりするな。それですませようとするきさまらのずるさがいやだ。おれは、大人しく鬼鹿へ帰るつもりでいたが、その気持は失せた。村中の金をここへ出せ。もしもおれに礼を言いたいと言うなら、金を出せ」銀四郎は、怒声を浴びせかけると口に近づけた茶碗をかみくだいた。
↑ 羆の討伐に成功した後の、謝礼はどのようにしたら良いかという区長の問いに対する銀四郎のリアクションのシーン
銀四郎の眼には、六線沢の人々が何故袈裟懸け羆を増長させてしまったのか、問題から眼を逸らしながらそれに気付かない愚かさ、自然を支配できると考える不遜さが見えるのかも。。。
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